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エピソード

Episode

介護・看護を経験されている方、これから関わる方、すべての方にお伝えしたいエピソードを掲載します

​ほくようの1年を振り返って

思い・重ねて・未来へ

ほくよう誕生からはや1年が経ちました。皆様の応援を受けながら、一歩一歩前へ進んでくることができました。ありがとうございました。今月は「ほくよう」の一年をちょっとだけ振り返ってみたいと思います。

01

 第1号のご入居者様Aさんは、お花の好きな女性でした。1年たったいまでも、娘さんがいつもお花を持ってきてくださいます。

 2人目のご入居はご家族はお看取りも覚悟をされていた方でしたが、春のお花見、ご自身のお誕生日をほくようで迎えられました。この年末には、ほくようでご家族と一緒に年越しをされる予定です。

03

 夏には、地域の方やご縁のある方々も招いての「夏まつり」を行いました。吹奏楽の素晴らしい演奏やビンゴゲームなどで楽しいひと時を過ごしました。夏まつりの前には近隣の施設や学校にも訪問させていただきましたが、そうしたつながりから入居の相談をいただくこともありました。先日ご入居された方は、開設の際の内覧会に来られたお友達からの紹介とのことでしたが、こうしたひとつひとつの出会いがつながって、ほくようでの皆さんの笑顔になることは、何よりもうれしいことです。

05

 週末になると、お孫さんたちも来られてそれぞれのお部屋がにぎやかになります。がんの末期でご入居されたEさんは、ご家族が遠方におられ、週末は少し寂しそうでしたが、ご家族のことが大好きでいつも息子さんやお嫁さん、お孫さんの自慢話をきかせてくださいました。Eさんのお別れの時が近づいていました。息子さんとは前の週に「お別れ」をされており、ご家族に会いたいとは決して口にされない気丈な方でした。その日の夕方、Eさんの呼吸は少しづつ弱くなってきました。誰が呼びかけるわけでもなく、Eさんのお部屋にスタッフが集まってきて、Eさんの手を握ったり、さすったりしています。スタッフに囲まれてEさんは旅立たれました。「みんながいる時間帯でよかったね」「Eさんお疲れ様」ご家族のかわりにはなれませんが、入居者様に寄り添うスタッフがほくようにはいます。

02

ほくようはがんの末期の方の受け入れも少なくありません。Bさんは、半年前まで元気に過ごしておられましたが、がんが見つかり急速に症状が進んでしまわれました。こうした経過の方は、ご家族も現実の受け止めが追い付かず、戸惑いや後悔といったお気持ちがよくわかりました。ほくようは、ご家族との時間を大切にしていただきたいとの考えで、面会も制限なしとしています。Bさんのご家族も、時間が許す限りお部屋へ来られ、お食事の介助や身の回りのお世話をしておられました。はじめは硬かったご家族の表情も徐々に和らぎ始めたころ、B様はご家族の「ありがとうね」の言葉を聞きながら旅立たれました。

04

このニュースでも紹介しましたが、身寄りのないCさんは訪問診療の先生の助言で、絶縁状態だったご実家へスタッフが付き添って里帰りをされ、2週間後に旅立たれました。年老いたお母さまが「うちの墓に入れてやりたい」を言われ、再びわが家へ帰って行かれました。ほくようでは、その人の最善の過ごし方をスタッフ全員が支えています。我が家のお庭を大事にされていたDさんと「お散歩」で車椅子でお庭まで行ったこともありました。Dさんはその後も、お庭の写真をたくさん撮って作ったアルバムを嬉しそうに眺めておられました。私たちスタッフはみな、入居者様やご家族様の笑顔が大好物なのです。

​06

 不思議と男性入居者様が多いほくようですが、介護をされる奥様の深い愛に頭が下がります。1日を旦那様の傍らで過ごされるFさんの奥様も、ご自宅での介護は大変つらかったとおっしゃっていました。つい声を荒げてしまわれることもあったでしょう。一人で抱え込んで、追い詰められてしまうこともよく聞くお話です。ほくようで過ごされる時間は、ご家族にとっても幸せな時間になっているのだと思います。これからも皆さんが幸せな時間を過ごせますように。

 この1年でほくようも多くの方との出会いを経て、経験を重ねてきました。ほくようをもっと多くの方に知っていただき、利用していただけると幸いです。

 この1年、ほくようを支えていただきありがとうございました。新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。

ほくようの真髄  4

​◆◆◆ ご家族から寄せられた手記を紹介させていただきます◆◆◆

終末期の親の介護に際して家族が思うこと

「看取り」と告げられたときの家族の混乱

 父は2018年にレビー小体型認知症と診断され、2年近く行った自宅介護も限界となり、他の施設に入所しました。入所して一か月で誤嚥性肺炎と高度の脱水状態で緊急入院となりました。病院での説明は嚥下機能がほとんどなくなっており、リハビリをしても回復することはないだろうということ、治療方針としては看取りをする状態であるとのことでした。   

 家族の意見は二つに分かれました。ほんの3週間前まで元気にしていた父なのに、看取りと言われ母と姉は激しく混乱しました。私はある程度の経過のなかの自然な経過であるわけだから、看取りでもよいのではないかという思いでした。結局意見が分かれたまま方針を決定すると家族内で遺恨が残るという病院の配慮もあり、挿管などの延命以外の治療を継続しましたが、やはり嚥下機能は回復することなく、病院から施設へ移動するようお話がありました。その時医師からこう言われました「鼻管が入って、吸引を頻回にするような患者を受け入れてくれる施設はない。胃ろうを入れて施設に移動してください。」

 病院から見れば父は認知症の高齢者に過ぎないとは思いましたが、家族から見れば大事な父でした。若いときから遊ぶこともせず、ただただ仕事と家族のために働き続けた人でした。状況は十分に理解していましたが、選択肢を提示されることなくベルトコンベアーに載った大根のように扱われることに家族としても傷つきました。なんとか父を「ひと」として尊厳のある最後にしたいことをソーシャルワーカーの方にお話ししたところ、懸命に探していただき、ほくようにたどり着きました。脱水予防に点滴が入れられるようにポートを設置すれば点滴も可能であること、鼻管も必要であれば入れていていいこと、吸引もしてくださることを聞き、とても安心しました。

 

ほくようとの出会いで

 ほくようでは、施設長、看護師長さんから看取りの時の明確な手順や意思決定のプロセスに関して施設の方針を明瞭に説明してもらいました。いざとなった時にスタッフ間で対応が右往左往してしまったり、家族への説明が人によって異なることはよくあります。この部分をスタッフ間で十分に共有することをご説明いただき、安心したことを覚えています。

 入所直前は病院から何度も「高熱がでた、厳しい状態だ」と電話がかかってきておりましたので、春までなんとか命がつながればという思いで2023年の1月に入所しました。入所するときに家族のこれまでの思いを丁寧に聞いていただきました。そのときに担当してくださった泉先生に「この家族に必要なのは希望だね」とおっしゃっていただいたときは本当に涙が止まりませんでした。死にゆく父に希望というのはおかしいかもしれませんが、まさしく死に向かっている父に希望が欲しかった。もう元気になることはないであろう父に最後は幸せにすごしてほしいという気持ちです。春まではむりだろうと思っていた父ですが、ほくように入ってからは鼻管もとれ、点滴一本だけの毎日ですが、とても丁寧にケアしていただくおかげで褥瘡も治り、血色もよくなりました。春にはお花見に連れていくこともできました。夜中叫ぶためにたくさん処方されていた抗精神薬もすべてなくなったために一日のうち少しだけ起きている間は家族とお話ししたり、にっこり笑ってくれることもあります。いつも清潔にしていただいて肌もきれいになりました。

 「こんな病気にしたのは介護するときに夫を責めた私のせいだ」といつも悔やんでいた母をスタッフの方はいつも優しく声掛けしてサポートしてくださいます。若いスタッフからベテランの方までみなさんがいつも明るく、声がけしてくださり、「気にしなくていいよ」と言ってくださるので母も元気になりました。先日父に「おかあさんと結婚してどうだった?」と聞いたら、「しあわせだった」と言ってくれ、動画に残すこともできました。

 コロナだったこと、認知症で嚥下障害になれば死はやむを得ないこと、家族に限界がある以上、本人にも我慢してもらわないといけないことなど仕方ないことばかりのなかで、それでもひとらしく扱ってもらうことや、家族を大事に思う気持ちを尊重していただき、家族としてはこれ以上望むことはありません。いずれ死を迎える父ではありますが、悔いは残らないように思います。

後悔のない最期を

 医療機関に永遠に入院することはできません。介護施設では医療手技の限界もあります。そのはざまの中で「しかたない」という一言でなんとなく後悔する最後を過ごす方はいらっしゃるのではないかと感じています。これは近しい家族がその状況にならなければしらない事実です。私の職業は医療関係ですが、このような事実を恥ずかしながら遠くから見ていて、十分に理解はしていませんでした。ほくようは病院と従来の介護施設の中間のような役割の新しいかたちであり、かつ、もうひとりの家族のような存在になってくれるのではないかと思っています。家族にとって介護は過酷です。施設によっては十分な意思疎通をしてもらえないところもある中で家族のような目線と、プロとしてのサービスを明瞭に提供していただけることに安心感を覚えています。

 今後も父との毎日がしあわせであることを願っています。

ビーチのカップル

ほくようの真髄  3

 あなたは、大切な人に会えていますか。思いを伝えていますか。

 Bさんは悪性リンパ腫の末期と診断をされ、ほくように入居をされました。いろいろな事情を抱え、ご家族とは十年余り疎遠になっていました。入居の保証人のサインのために遠方から来られた兄弟にも「会わん」の一点張りで、結局誰にも会われることはありませんでした。唯一の面会は、Bさんの好物のどら焼きとコーラを買ってきてくれる、ケアマネさんだけです。スタッフに対しても入浴の拒否や無視など、なかなか心を開いてもらえませんでした。

 しかし、徐々に食欲もなくなり、とろみをつけたコーラとおにぎりだけという日が続きました。残された時間は長くはないと思われ、主治医が「うちへ帰るか?」と尋ねました。Bさんもいつもとは打って変わった様子で「帰る」との返事でした。

 そうと決まればほくよう得意の素早い動きで、四日後の里帰りが決まりました。Bさんの大嫌いな入浴も「きれいにして帰りましょう」とみんなで励まし、外出用のワイシャツを、袖を通すことができないBさん仕様にリメイクして、いよいよ出発の時を迎えました。10年ぶりの里帰りに不安を隠せないBさんは行きの介護タクシーでは「帰る!おろせ‼」と大騒ぎでした。騒ぐBさんをなだめつつ、なつかしのわが家へ到着したBさん。年老いたお母さんと兄弟さんが玄関で待ち構えておられます。ストレッチャーで玄関までの坂道を登ると、「よう帰ってきたね。やせたねぇ」と泣きながらBさんの腕をさするお母さん。Bさんは恥ずかしいのか、顔を背けてお母さんの顔を見ようとはしません。が、その眼には涙があふれていました。

   里帰りから2週間余り。Bさんは旅立たれました。10年ぶりの再会の後、お母さんが「息子をうちの墓へ入れてやりたい」と兄弟さんに話をされ、Bさんはお母さんが待つ実家へ再び帰って行かれました。

 人生最期の時間をどう過ごしていただくか。ほくようの大切にしているテーマの一つです。あなたは大切な人に思いを伝えていますか。

ほくようの真髄 ②  

 Aさんは入居時に仙骨部に褥瘡がありましたが、毎日の褥瘡処置と3時間ごとの体位交換で、3か月後にはきれいに完治しました。ところが、5月の中旬、スタッフが左腸骨部に小さな発赤を見つけました。Aさんは、誤嚥性肺炎を繰り返されているため喀痰が多く、吸引も頻回なため、痰が出やすいように、しっかりと横を向いていただいています。そのため左腸骨に圧がかかりやすく、発赤ができたのだと思われました。

「このままだと褥瘡になってしまうかもしれないね。」みんなで話し合い、使用中のマットレスがAさんには少し硬いのではないかという結論に至りました。さっそく担当ケアマネージャーへ連絡。そこから福祉用具のレンタル業者へマットレス交換のお願いをし、翌日には新しいマットレスが入りました。その後、発赤も消え褥瘡の発生を回避することができました。この連携の素早さもほくようの強みです。

 ほくようでは、日々の介護の中でも入居者様の小さな変化を見逃さず、常に入居者様にとって最善の状態を目指しています。「褥瘡をつくらない」これも、ほくようの介護、看護の真髄です。

紫のアジサイ
ピンクの花

ほくようの真髄 ①  

80代後半のA様は、要介護4、CVポート、褥瘡もある男性。

​ご家族様の「在宅で介護がしたい」という強い希望で住宅型有料老人ホーム「ほくよう」への入居が決まりましたが、繰り返す誤嚥性肺炎のため退院が何度か延期になっておりました。

病院とご家族様、ほくようのスタッフで協議を重ね、ようやく1月末に入居することが出来ました。この時点でご家族様は看取りを覚悟されていました。

​A様は入居後も発熱は続いていましたが、適時の喀痰吸引と口腔ケアによって現在のところ肺炎の症状は安定し、安楽なミスト浴を活用した清潔ケアと毎日の瘡処置によって、褥瘡の完治も秒読みの状態となるなど、A様の体調は入居時から徐々に安定し、この4月には家族で花見に出かけることが出来ました。

ご家族も「3月まで頑張ってくれたらと思っていたけど、お花見までできて。今度は6月の誕生日が目標ね。」を笑顔で仰られていました。

ほくようが目指しているのは、医療ケアがあるために、これまでは埋もれてしまっていた大切な時間を取り戻す事であり、そのお手伝いになる看護・介護を行う事です。

​まだ手探りな事も多い中で、ほくようの真髄を体現できたのはご協力いただいている医療機関の皆様と、ほくようスタッフ一人一人の心と力の賜物だと思います。感謝とともに更なる高みを目指して頑張りたいと思います。

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